津田 智恵 展
Tsuda Chie Existence
第2章『あっぱれ 酔っぱれ。』彫刻・平面・歌
■2006.6/27(tue)〜7/10(mon) 日曜日・休廊
■平日12:00pm〜19:00pm 土曜日12:00pm〜16:30pm |
 
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「あっぱれ 酔っぱれ」
朝にあっぱれて
宵に酔っぱれる
昼のことは忘れて、
平和であれ
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タイトルとしての「あっぱれ 酔っぱれ」 |
独りであれ,二人であれ,多勢であれ、かまわない。
そこに在ることに、そこに無いことに,酔えばいい。
酒に酔う・自分に酔う・場所に酔う・人に酔う・空気に酔う・船酔いだったり
吐いちゃったり、でも酔っていたい。
行きつく終ての、あっぱれは私流に言うと『酔っぱれ』かもしれない。
本当は酔わされたい。
全ては自由だから。
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あっぱれ第2章にむけて。 |
「あるがままに漂ってこそ快感、不確実さを泳ぐように生きていたい。」
しかし、不安定な自由に私達は耐えられない、退化し怠惰になることを恐れ、
モノ主義人生まっしぐらー。
進歩やら発展やらの共同幻想の渦の中をカラッポの心が、ボソボソと音を立てて
踊っている。
乾いた欲が麻ひさせたこの感じに酔いながら私は
この世相手に何をしでかそう。
感じない芸術はひたすら空しい。本質を無視して形を問うてみても、丸いものを
四角や三角にしているだけで、
哲学なんて日替定食みたいなもの。
全ての存在と非存在は地球存続に関わる部品でしかなく、
(私達は,ボルトやナットやワッシャーか・・・)
表現や思想や考えは、存在と非存在が向かう未来に対する矢印にすぎない。
(Deleteひとつで「私」の意味など消せる。)
生みだした作品は人間を映すただの鏡である。
(芸術はけっして難しいものであってはならない)
しかし,作品と言う鏡に現し出された像は、一歩先をゆく 人間のみすぼらしくも自然な姿であってほしい。
無能なまでに豊饒な自然の姿であって欲しい
人と自然が可能なかぎり長く寄りそって生きられるように、
そんな未来の為に私の毛の先から最後の一刻りまでも費やしたいと願う。
全てがあっぱれと叫ぶ為に。
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履 歴 |
津田 智恵 Tsuda Chie |
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略歴 |
1977 |
京都生まれ |
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2000 |
大阪芸術大学美術学科彫刻コ-ス卒業 |
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2001 |
大阪芸術大学彫刻研究生修了 |
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現在 |
京都で制作、在住 |
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個展 |
2005 |
あっぱれ展 |
(ドットアートコスモ・大阪) |
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グループ展 |
2001 |
Small Warks展 |
(Gallery童子庵・岐阜) |
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2002 |
大阪芸術大学OB展 |
(Guild Gallery・大阪) |
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2005 |
「BEYOND THE BORDER −猫から虎へ−」 |
(茶屋町画廊・大阪) |
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シンポジウム |
2001 |
木彫シンポジウム in Gujyo参加 |
(岐阜県郡上八幡) |
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2002 |
彫刻村展 2002 |
(岐阜県立美術館) |
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2005 |
木彫シンポジウム in Gujyo参加 |
(岐阜県郡上八幡) |
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彫刻村展2006 |
(岐阜県立美術館) |
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公募展 |
2000 |
第7回公募展彫刻フォ-クア-トおおや入選 |
(兵庫県大屋町) |
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2004 |
第11回公募展木彫フォ-クア-トおおや入選 |
(兵庫県大屋町) |
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アートギャラリーJOYO.2005入選 |
(京都府城陽市) |
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展覧会風景 |
■画像のスライドショーを見る
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ART |
作品データは以下の順に記す。作品名/制作年・展示場所/素材/寸法(cm)
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あっぱれ
2005(ドットアートコスモ・大阪) (ブナ・ハン・クス) 120x60x60
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こうもんよく (左)
2003(ドットアートコスモ・大阪) (ブナ) 24×44×26
まん (右)
2003(ドットアートコスモ・大阪) (ブナ) 52×30×26
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